長男が生まれた時、当時まだ珍しかった育児休業を1ヶ月取得しました。私の育休の思い出は、長男がインフルエンザで入院し、病院で寝泊まりして付き添ったことです。結局、私自身もインフルエンザにかかってしまい、育休中は育児らしい育児ができた記憶がありません(笑)。
私も妻も、両親が遠方におり、サポートをお願いすることが出来なかったので、利用できるサービスは何でも利用してきました。特に「病児保育」には本 当にお世話になりました。子供は、小学校に上がるまで本当によく熱を出します。どうしても仕事を休んで対応できない時に利用しました。「ファミリーサポー ト(育児・介護の相互援助組織)」は、子供を習い事に送るのに今でも利用させていただいています。
地域の方々にも支えていただきました。2011年の東日本大震災の時に、私も妻も仕事で遠方におり、帰宅出来なくなりました。この時は、同じマン ションの方が、子供達を小学校へ迎えに行くだけでなく、自宅に泊めてくださいました。周囲の方々の支えなしで、ここまでやってくることは出来なかったと感じています。
それでも、どうにもならない事態に陥ったこともあります。もう時効だと思いますのでお話しますが、長男が2歳の時、妻は休日出勤、私が自宅で子供を 見ていた時に、急遽出社しなければならなくなりました。その時は切羽詰まって、息子を連れて出社しました。会議室にプラレールを並べ、ここで遊ぶように 言って、緊急対応にあたりました。その後、別の事業所でも作業が必要でしたので、幕張で働いている妻に息子を一旦預け、作業を終えた後、また幕張まで息子 を迎えに行って、なんとか乗り切ったこともありました。